落合太郎訳『方法序説』の追求
- 2017/11/05
- 15:57
『方法序説』か『方法叙説』かを考察するブログ記事を少し前に書いた。そこでは、現代においては『方法序説』を採るべきだと結論づけた。
ところで、後日、落合太郎訳についてはいくつものバージョンが存在することが分かった。今日はこのことについて書きたい。こんな枝葉末節でマニアックなことなど、どんなデカルト学者も、要するに日本中を見渡しても誰も取り上げる者はいないであろうから。
落合太郎によるデカルト『方法序説』の邦訳のいくつものバージョンを、貧乏人の私が所有できているというのはすなわち、……これらの古書が安価だからに他ならない。誰も好き好んで古びた大戦前後のデカルト本など求めやしない今日なのかもしれない。
落合太郎というハンサムなフランス哲学文学博士がどんな人物だったのか、私はよく知らないのだが、しかし彼が邦訳した『方法序説』は、わが国でもっともよく読まれたデカルトの著書のひとつに違いないのだ。
*
氏の『方法敍説』は、歴代5つめとなる邦訳版のデカルト著「Discours de la Méthode」である。
1939年6月、『デカルト選集(第1巻)』の中に収録され創元社から出版された。

『デカルト選集(第1巻)』の表紙(1939年)

昭和14年、紙質はまだ上質でスベスベしており、今になっても黄ばみがすくない。
戦後、1946年10月に同じ内容のものが出版されたが、こんどは『デカルト選集』から飛び出して、「哲學叢書」シリーズのひとつとして世に出たのだった。
増刷は、1年後の1947年9月。
表紙を比較してみると一字違っている。1946年の版は新字体だ(題名のウェイトも微妙に異なる)。

『方法叙説』と『方法敍説』の表紙(1946年・1947年)
とはいえ両者とも、本文や奥付は「敍」の字表記で統一されている。奇妙なことに、1946年版の表紙のみが新字体「叙」なのである。翌年は表紙も本文に合わせ、元の旧字体「敍」に戻された。

本文はどちらも『方法敍説』の表記で一致。紙質がいずれも酷く、ザラザラ・ゴワゴワしている。
1年おいて1949年の『方法敍説』重版は、内容は同じだがデザインが一新された。それまでのソフトカバーからハードカバー本に代わり、表紙カバーまで着せた豪華な装丁となった。

『方法敍説』の表紙(1949年)

裏表紙の創元社ロゴが美しい。表紙裏にもレイアウトの異なる印刷が施されてある。
*
その後、この本は1953年8月に岩波文庫に収録され、題名が『方法序説』に変更された。
1967年3月、岩波文庫『方法序説』は若干の修正を加えて改訂版になり、数十もの重版を重ねた。
1997年7月、ついに岩波文庫『方法序説』は谷川多佳子氏による翻訳にリニューアルされ、それから今に至るまでこちらが採用されている。

岩波文庫『方法序説』の表紙の比較
以上が、落合太郎訳の『方法敍説』→『方法叙説』→『方法敍説』→『方法序説』変遷史である。
*
もう少し詳しく、これらの本の奥付を一堂に比較してみてみよう。

『デカルト選集(第1巻)』奥付(1939年初版) 貳圓(2円)

『方法叙説』奥付(1946年) 拾五圓(15円)

『方法敍説』奥付(1947年) 四十五圓(45円) 『テカルト法方敍説』?

『方法敍説』奥付(1949年) 一四〇圓(140円)

岩波文庫『方法序説』奥付(1953年初版) 八拾圓(80円)

岩波文庫『方法序説』奥付(1967年改版/写真は1988年46刷) 350円

岩波文庫『方法序説』奥付(1997年初版/谷川多佳子訳) 360円+税
細かい点を指摘し、認識しておきたい。
まず、『デカルト選集(第一巻)』は、昭和十四年七月一日發行である。
『方法叙説』は昭和二十一年十月五日再版、とあるが、厳密にいえばこれは間違っている。というのは「再版」といっても、『デカルト選集(第一巻)』の中に収録された「方法敍説」の再出版、という意味合いになってしまっているからだ。ふつう「再版」といえば、同じ出版物を再び刷って出版することを意味するのであって、まったく別の出版物から抜粋してきたものを再掲載し出版することを意味しないであろう。
さらに枝葉末節のことではあるが、別の誤記もある。
『方法叙説』(1946年)の奥付には、その初版が「昭和十四年六月廿五日」であると載っている。だが、『デカルト選集(第一巻)』の奥付には、その出版について「昭和十四年七月一日發行」とある。
「昭和十四年六月廿五日」は、『デカルト選集(第一巻)』の「印刷日」なのである。
これで、落合太郎氏が奥付の表記に大して厳密性を志向していないことがわかった。
つぎの『方法敍説』(1947年)は、「昭和二十二年九月二十日」の「再版」。
奥付が糊付けであることがちょっと気になる。きっと急いで刷った重版だったのだろう。

『方法叙説』(1946年)に附された正誤表
1946年の別紙「正誤表」は1947年の本文に反映され、誤表記が一掃された。
……はずだったが、なんと奥付に別の誤表記が発生。
『法方敍説』とはユニークだ。
それにしても、昔の本にくっつけてある「検印」とは一体何のためにあったのだろう?
*
岩波文庫に収録された落合太郎訳『方法序説』からは本文が現代かなづかいになり、旧漢字も常用漢字に直され、序文も添付されるなど細かな変更があった。検印もやがて廃止された。
「文は人なり」という言葉があるけれど、これらの変更箇所から、落合太郎氏のちょっとした頑固さがちょくちょく垣間見える気がする。
たとえば、「メルセンヌ」という人名の表記をみると、当初「メルセヌ」だったのが、岩波文庫収録の際に修正されて「メルセンヌ」となっている。「ン」が小さいのは、どうしても譲れない発音上のこだわりがあったことが想像できよう。
外国語の発音にこだわりを見せる学者や作家は多いし、それは私は良いことであると思う。一方で、私がそれを考え始めれば、「それじゃあイメージはイミッジだろうに。それじゃあパリはパリスでラオスはラオで、ペキンはベイジンでイギリスは…なんというんだ?」とカタカナ表記へのコジツケに時間を空費することになる。
*
それにしても、今の本にくっつけてある「ISBN」とは一体何のためにあるのか?
ISBN、International Standard Book Number は「国際標準図書番号」、つまりちゃんと本屋やアマゾンに流通している本には必ず登録されてある、1つの書籍に世界にひとつ分け与えられたナンバーである。書籍の流通管理には欠かせない番号だそうだ。
ISBNが国際的に導入されたのは1970年、日本の加盟は1981年のことらしい(→ウィキペディア)。となると、落合版岩波文庫『方法序説』の改版が1967年だから当時はまだなく、私が所有しているその本(写真)は1988年版(46刷)だから、その間にISBNは附されたはずだ。
1997年初版の谷川多佳子版は最初から登録されていた。
とはいえ、ISBNの登録には何万円もかかるから、同人誌や自費出版本にはあまり付けられていない。手違いによる番号の重複もあるという。「国際標準図書番号」などといういかついネーミングのシステムだけど、けっこうアバウトなんだな、と思う。
では、岩波文庫の『方法序説』の「国際標準図書番号」をチェックしてみよう。
落合太郎訳は、―― ISBN 4-00-336131-8 。
谷川多佳子訳は―― ISBN 4-00-336131-8 。
同じ番号でいいのか。
ところで、後日、落合太郎訳についてはいくつものバージョンが存在することが分かった。今日はこのことについて書きたい。こんな枝葉末節でマニアックなことなど、どんなデカルト学者も、要するに日本中を見渡しても誰も取り上げる者はいないであろうから。
落合太郎によるデカルト『方法序説』の邦訳のいくつものバージョンを、貧乏人の私が所有できているというのはすなわち、……これらの古書が安価だからに他ならない。誰も好き好んで古びた大戦前後のデカルト本など求めやしない今日なのかもしれない。
落合太郎というハンサムなフランス哲学文学博士がどんな人物だったのか、私はよく知らないのだが、しかし彼が邦訳した『方法序説』は、わが国でもっともよく読まれたデカルトの著書のひとつに違いないのだ。
*
氏の『方法敍説』は、歴代5つめとなる邦訳版のデカルト著「Discours de la Méthode」である。
1939年6月、『デカルト選集(第1巻)』の中に収録され創元社から出版された。

『デカルト選集(第1巻)』の表紙(1939年)


昭和14年、紙質はまだ上質でスベスベしており、今になっても黄ばみがすくない。
戦後、1946年10月に同じ内容のものが出版されたが、こんどは『デカルト選集』から飛び出して、「哲學叢書」シリーズのひとつとして世に出たのだった。
増刷は、1年後の1947年9月。
表紙を比較してみると一字違っている。1946年の版は新字体だ(題名のウェイトも微妙に異なる)。

『方法叙説』と『方法敍説』の表紙(1946年・1947年)
とはいえ両者とも、本文や奥付は「敍」の字表記で統一されている。奇妙なことに、1946年版の表紙のみが新字体「叙」なのである。翌年は表紙も本文に合わせ、元の旧字体「敍」に戻された。

本文はどちらも『方法敍説』の表記で一致。紙質がいずれも酷く、ザラザラ・ゴワゴワしている。
1年おいて1949年の『方法敍説』重版は、内容は同じだがデザインが一新された。それまでのソフトカバーからハードカバー本に代わり、表紙カバーまで着せた豪華な装丁となった。

『方法敍説』の表紙(1949年)

裏表紙の創元社ロゴが美しい。表紙裏にもレイアウトの異なる印刷が施されてある。
*
その後、この本は1953年8月に岩波文庫に収録され、題名が『方法序説』に変更された。
1967年3月、岩波文庫『方法序説』は若干の修正を加えて改訂版になり、数十もの重版を重ねた。
1997年7月、ついに岩波文庫『方法序説』は谷川多佳子氏による翻訳にリニューアルされ、それから今に至るまでこちらが採用されている。

岩波文庫『方法序説』の表紙の比較
以上が、落合太郎訳の『方法敍説』→『方法叙説』→『方法敍説』→『方法序説』変遷史である。
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もう少し詳しく、これらの本の奥付を一堂に比較してみてみよう。

『デカルト選集(第1巻)』奥付(1939年初版) 貳圓(2円)

『方法叙説』奥付(1946年) 拾五圓(15円)

『方法敍説』奥付(1947年) 四十五圓(45円) 『テカルト法方敍説』?

『方法敍説』奥付(1949年) 一四〇圓(140円)

岩波文庫『方法序説』奥付(1953年初版) 八拾圓(80円)

岩波文庫『方法序説』奥付(1967年改版/写真は1988年46刷) 350円

岩波文庫『方法序説』奥付(1997年初版/谷川多佳子訳) 360円+税
細かい点を指摘し、認識しておきたい。
まず、『デカルト選集(第一巻)』は、昭和十四年七月一日發行である。
『方法叙説』は昭和二十一年十月五日再版、とあるが、厳密にいえばこれは間違っている。というのは「再版」といっても、『デカルト選集(第一巻)』の中に収録された「方法敍説」の再出版、という意味合いになってしまっているからだ。ふつう「再版」といえば、同じ出版物を再び刷って出版することを意味するのであって、まったく別の出版物から抜粋してきたものを再掲載し出版することを意味しないであろう。
さらに枝葉末節のことではあるが、別の誤記もある。
『方法叙説』(1946年)の奥付には、その初版が「昭和十四年六月廿五日」であると載っている。だが、『デカルト選集(第一巻)』の奥付には、その出版について「昭和十四年七月一日發行」とある。
「昭和十四年六月廿五日」は、『デカルト選集(第一巻)』の「印刷日」なのである。
これで、落合太郎氏が奥付の表記に大して厳密性を志向していないことがわかった。
つぎの『方法敍説』(1947年)は、「昭和二十二年九月二十日」の「再版」。
奥付が糊付けであることがちょっと気になる。きっと急いで刷った重版だったのだろう。

『方法叙説』(1946年)に附された正誤表
1946年の別紙「正誤表」は1947年の本文に反映され、誤表記が一掃された。
……はずだったが、なんと奥付に別の誤表記が発生。
『法方敍説』とはユニークだ。
それにしても、昔の本にくっつけてある「検印」とは一体何のためにあったのだろう?
*
岩波文庫に収録された落合太郎訳『方法序説』からは本文が現代かなづかいになり、旧漢字も常用漢字に直され、序文も添付されるなど細かな変更があった。検印もやがて廃止された。
「文は人なり」という言葉があるけれど、これらの変更箇所から、落合太郎氏のちょっとした頑固さがちょくちょく垣間見える気がする。
たとえば、「メルセンヌ」という人名の表記をみると、当初「メルセヌ」だったのが、岩波文庫収録の際に修正されて「メルセンヌ」となっている。「ン」が小さいのは、どうしても譲れない発音上のこだわりがあったことが想像できよう。
外国語の発音にこだわりを見せる学者や作家は多いし、それは私は良いことであると思う。一方で、私がそれを考え始めれば、「それじゃあイメージはイミッジだろうに。それじゃあパリはパリスでラオスはラオで、ペキンはベイジンでイギリスは…なんというんだ?」とカタカナ表記へのコジツケに時間を空費することになる。
*
それにしても、今の本にくっつけてある「ISBN」とは一体何のためにあるのか?
ISBN、International Standard Book Number は「国際標準図書番号」、つまりちゃんと本屋やアマゾンに流通している本には必ず登録されてある、1つの書籍に世界にひとつ分け与えられたナンバーである。書籍の流通管理には欠かせない番号だそうだ。
ISBNが国際的に導入されたのは1970年、日本の加盟は1981年のことらしい(→ウィキペディア)。となると、落合版岩波文庫『方法序説』の改版が1967年だから当時はまだなく、私が所有しているその本(写真)は1988年版(46刷)だから、その間にISBNは附されたはずだ。
1997年初版の谷川多佳子版は最初から登録されていた。
とはいえ、ISBNの登録には何万円もかかるから、同人誌や自費出版本にはあまり付けられていない。手違いによる番号の重複もあるという。「国際標準図書番号」などといういかついネーミングのシステムだけど、けっこうアバウトなんだな、と思う。
では、岩波文庫の『方法序説』の「国際標準図書番号」をチェックしてみよう。
落合太郎訳は、―― ISBN 4-00-336131-8 。
谷川多佳子訳は―― ISBN 4-00-336131-8 。
同じ番号でいいのか。
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