インターネット上で面白いものを見つけた。
ネット上に公開されている、「もろもろの学問分野で、正しく理詰めで真理を探究するための方法についての考察」と題された文章なのだが、これはなんと、――山形浩生(やまがた・ひろお)氏による『方法序説』の翻訳なのである。出版はなされていない。
そもそも出版目的ではなくて、「プロジェクト杉田玄白」という企画を立てた中で用意された文章のひとつだからだ。これは、再配布も改変もOKな翻訳文書を作って、みんなでオンライン上にアップして共有しましょうよ、という志でウェブ上に成立している。
私はこれからこの山形訳『方法序説』に関してああだこうだ言っていきたいのだが、まず先にいわねばならないのは、翻訳者の山形浩生という人物がかなり癖のある研究者であるということについてである。
もちろん私は面識がない。しかし、そこそこ有名人に類する経済系の研究者で、多岐にわたる分野で翻訳出版を手がけ、自著でも持論を発信しているいわゆるジェネラリスト(広範囲の知識人)なのだから、目についた文章を読めば、それなりのイメージは得られる。
氏の批評エッセイのたぐいには、たしかに読んで面白いものが含まれている。
歯に衣着せぬ表現で常識や権威の裏にある矛盾や弱点を槍玉に挙げ、そうかと思えば飄々とした軽い態度でさらりとまとめたりして、剛柔自在の文章力でもってじょうずに自己表現を操っている。
特に、氏の真骨頂はブログエッセイにあらわれている。
そのねちねちしたトゲのある批判的文章からは、やもすれば「他人のメンツなど知るか!」と言わんばかりのイジワルな性格が垣間見える。ただまぁ、研究者に粘着性格はよくおられるし、いわば研究に執念は不可欠なのだから、粘着気質こそ学者やマニアの適正性格ともいえるのかもしれない、などとさえ私は考察してしまうのだが・・・。
まず、山形浩生氏には文体からしてそういう特徴がある。
1964年生まれということは現在50代前半のはずだけれど、ブログ記事などでは30代から一貫して「崩れた若者言葉」を駆使しているのである。読者の鼻につくつかないはとりあえずおくとして、この文章表現の手法が彼自身の粘着気質にとてもマッチしていて、その棘棘しい批評能力を効果的に発揮する。
内容も、良い子であることを避けるようにわざと品格を低質化してある。ワルでなければ攻撃などできない、といったふうでもある。また、表面的な品格を捨て去ることで、馴れ馴れしく読者の心に近づこうという魂胆でもある。
そして折にふれて、傍若無人の態度でキツい言葉を投げつけ、読者をテストする。不適切な読者の考えに更生を促すか、もしくは落第に処する思惑なのだろう。
ためしに、次の実例を見ていただきたい。
→
山形浩生の「経済のトリセツ」 2011-10-03 これは、山形氏の公式サイト
「YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page」 の中にある、「山形浩生の『経済のトリセツ』」という書評などのエッセイが掲載してあるページの2011年10月3日付の文章である。
その文章のタイトルは、
「
2011-10-03 松岡正剛のケインズ評はかなーりデタラメ度お高め。 」
というもので、かの松岡正剛氏をボロクソに批判している。
松岡正剛氏については、私は
以前のブログ にいろいろ書いたのでそちらをご覧いただきたい。日本一の編集人であり、正真正銘のジェネラリストだと思う。私もブログに批判は色々書いたものの、やはり彼の長大な読書案内ブログ『千夜千冊』を読んでいると(1650夜のうち300夜分ほど私は読み進めた)、その凄さにも高尚さにも唸らざるをえない。ほんとうに素晴らしいので、このところ私はすっかりファンになっている。
で、その松岡正剛をけちょんけちょんにしているのが、山形浩生のこの文章なのである。
ジェネラリストがジェネラリストをメッタ斬りするのは面白い。面白いけれど、読んでいて痛い。しかも松岡氏は、山形浩生が翻訳した本を何冊も何冊も好意的に紹介しているのである。そんな松岡氏のことを、執拗にイジワルにこれでもかと批判してやまないし、批判で使う言葉が極めて挑発的だ。おまけに松岡氏の顔写真まで載せてある。どうしてそこまで山形氏がイジワルなのかが分からない。(・・・私のように他人事のワイドショーに群がり面白がる大衆がうじゃうじゃいて、それに応えるためなのだろうか?)
いや実際には、まことに痛快、とさえいえるのである。松岡氏は私にとって山のように大きな知識人だが、その巨人の化けの皮を剥ぎ、ハリボテと言わんばかりであるのを読んで、・・・・・・私は、図らずもホッとしてしまった。
まぁ、とにかくひとことで言って、山形浩生は敵には回したくないタイプの人間だ。
しかし・・・ここは「デカルトの重箱」ブログ。
相手が誰であれ、つつくべきところはほじくり返さねばならない。
(なお、山形浩生氏は野村総合研究所研究員で、たくさんの訳書といくつもの自著共著がある。
参考までに:山形氏のウェブサイトは
→こちら 、ブログは
→こちら 、ウィキペディアでの人物紹介は
→こちら を参照。)
*
さあ、前置きはこのくらいにして、山形浩生訳・デカルト『方法序説』をひもといてみよう。
「
もろもろの学問分野で、正しく理詰めで真理を探究するための方法についての考察 」
という題名で掲載されている、山形浩生訳(1999年)、ルネ・デカルト著(1637年)『方法序説』は、
→こちら から入手できる。これは、「
プロジェクト杉田玄白 」なる翻訳文章フリー公開サイト内の作品のひとつである。
そしてまた、それを2003年にバウッダという組織が、英和対訳の形式でもってフリーで公開した。
→『方法序説』マルチメディア対訳版 からご覧いただきたい。
まず目を引くのは、山形氏は『方法序説』を表題に使っていないこと。そのため、ネット検索に掛かりにくいというデメリットはあった。マルチメディア対訳版では『方法序説』と題し直してある。
そしてこの翻訳は、英文からの重訳であること。つまりフランス語→英語→日本語という経路で翻訳された『方法序説』であるらしい。
さて、『方法序説』 の邦訳は、1904年(明治37年)の桑木厳翼によるもの以来いくつも出ている。このことは2014年6月5日にブログ「
『方法序説』題名の徹底比較 」に書いておいたのでご覧いただきたい。
ところで、1980年代には、1つも『方法序説』邦訳が新しく出版されなかった。以降、現在(2017年2月)に至るまでに新しく出版されたものは以下の2つ。
2010年 山田弘明訳、ちくま学芸文庫
1997年 谷川多佳子訳、岩波文庫
それ以外の翻訳者による最近の『方法序説』は、みんな昔年の再掲載である。白水社の三宅徳嘉・小池健男訳も、角川の小場瀬卓三訳も、中公の野田又夫訳も。
山形浩生訳、ネット上の〈プロジェクト杉田玄白〉版は1999年の公開だから、年代順にみれば、谷川訳と山田訳との中間に位置する。
翻訳は個人がおこなうものではあるが、必然的に時代の潮流をも反映するらしい。『方法序説』の最近の訳書も、専門学者によるものばかりながら、かなり一般人向けに読みやすくなっている。私個人としては野田又夫の訳書にいちばん慣れ親しんだけれど、文章が硬くてよく理解できなかったとき三宅・小池訳を開いて比較したらよく分かった、という経験があった。しかし、もっと新しい谷川訳や山田訳は、さらに読みやすくなっている。山田訳などは意訳スレスレではないかと感じるほどで、体裁の細部をざっくりと削り落としてあったり、原文にない注釈的な文章を入れたりと、それはそれで手が込んではいるが・・・。
それが、山形氏の翻訳ではコンセプトから違っていて、専門学者のものよりも断然「気さくな」文体と化している。
「だいたい翻訳」とでも名付けようか。21世紀を生きる若い一般読者の日常感覚に届きやすい。だが言い方をかえれば、これはひどく杜撰な翻訳である。そもそもが、「細かいことはどーでもいいぜ。ニュアンスは外さないから、楽しく読みきれよ、学生諸君」くらいの態度なのである。
そしてそれがまた「重訳」という方法を取っているのだから・・・どうなることやら。
本文を見ていこう。
*
もろもろの学問分野で、正しく理詰めで真理を探究するための方法についての考察 Discourse on the Method of Rightly Conducting the Reason, and Seeking the Truth in the Sciences ルネ・デカルト 著 まず題名からだが、なぜ一般に知られている『方法序説』としないかといえば、英訳原文に従ったためだろう。
しかし、である。
いきなり難癖をつけるようだが、原文では文字のウェイトを変えてあって、全部の文字の大きさが揃った表記からはうかがいしれない強調がなされている。それはフランス語もラテン語も英語でも変わらない。 Discourse on the Method こそが、やっぱり主題なのである。
それを山形氏は削り落としたというか、見落としたまま判断処理をした。
ところで、そもそものソースとなる英訳文の記述がないが、どこから引っ張ってきたのだろうか?
じつはそれについての奇妙なコメントが、本文に先立ち、こう明記されている。
「
この翻訳は英語からの重訳だけれど、原訳の規定により、もとの英訳の出典をここに記すことはできない。とはいえ、権利上の問題はまったくないことは明言しよう、とはいっても原典の出典を書けないのではその権利の確認のしようもないわけだが、ああ困った困った。 」
英訳の出典を記せない奇妙なルールがあるとは何事か?
それで、なぜ山形氏はそんな変なソースを選択したのだろうか?
ミステリーばりに謎が謎を呼ぶけれども、氏が書けないで困っている原典の出典くらいはここで明かしてみよう。ネット社会、検索すればちょちょいのちょいだ。
たまたま検索に引っ掛かってきた、哲学的研究オンライン「
philpapers 」と、Bartleby.comの
ハーバード・クラシックス のページから引いてみる。日本語にも『方法序説』が『方法論』・『方法通説』・『方法叙説』・『方法敍説』などいろいろあったように、英訳題名にもいろいろある。
でも、ここでの話題でそれっぽいのは、
1) Discourse on the method of rightly conducting the reason and seeking the truth in the sciences
:edited by Charles W. Eliot/1909-1914
2) Discourse on the Method of Rightly Conducting the Reason, and Seeking Truth in the Sciences
:edited by John Veitch/1850
あたりか。
双方とも著作権は切れていそうだ。
この2つの題名の違いはごくわずかで、2点ある。
A.単語の頭文字が、大文字か小文字か
B.truth のまえに the があるかないか
しかしA.は割と自由に可変が利くから、B.をのみ見ていこう。
で、山形浩生のページを開くと、
Discourse on the Method of Rightly Conducting the Reason, and Seeking the Truth in the Sciences 1)となっている。
だから、山形訳は「Charles W. Eliot/1909-1914 版」を下敷きにしたものと推論をしておこう。
ところが。
山形浩生訳を使用したはずのバウッダ制作〈対訳版〉では、
DISCOURSE ON THE METHOD OF RIGHTLY CONDUCTING THE REASON, AND SEEKING TRUTH IN THE SCIENCES 方法序説 理性を正しく導き、学問において 真理を探究するための方法の序説 とある。なんと2)なのである。
つまり、山形訳の下敷き「Charles W. Eliot/1909-1914 版」ではなく、「John Veitch/1850 版」を使っているということになりそうだ。対訳といっても、原典と違う者同士の、つまり祖父は同じでも親が違う文章が対訳として並べられているということと相成った。
ンまぁ、原典はフランス語『方法序説』なのだから、あまり問題はなさそうだが・・・
けれど、ここにもう一つ新たな疑問がでてきた。このバウッダ制作〈対訳版〉の日本語題が『方法序説』となっていてそこに付属文も載っているが、山形の文章にはそれがない(というか題名に含ませてある)。この部分、いったいどうやって拵えたのだろう?
・・・そう思ってざーっと過去の『方法序説』をみてみたら、谷川多佳子訳の岩波文庫版『方法序説』が次のようになっている。
「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための 方法序説」
そして巻末解説の「正確なタイトル」との説明には、こうある。
「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話〔序説〕。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」
そう。――バウッダ制作「山形浩生訳」の題名にあてられたのは、岩波文庫の谷川訳の巻末解説にちょちょいと手を入れたものだったのだ。
著作権云々と細々した規約をもちだしている割には、細部の処理がいまひとつ杜撰だと、私には感じられる。
*
次に進もう。
「良識はこの世で最も公平に配分されたもの」から始まる、『方法序説』の第一部。
ここを、山形氏は、
「
分別は、人間のもつあらゆるものの中でも、もっとも平等に分け与えられている。 」
と訳す。
フランス語で le bon sens 、それを日本語では「良識」と訳しがちだが、山形氏は「分別」とした。
念のため、この語について、これまでの『方法序説』邦訳をざっくり振り返ってみる。
「良知」・・・桑木訳
「常識」・・・出訳
「分別」・・・牛山訳・山形訳
「良識」・・・野田訳・小場瀬訳・野田訳・谷川訳・山田訳・三宅小池訳
圧倒的に「良識」が多いことがわかる。
ちなみに、「良知」と訳した桑木厳翼のは本邦初訳で1904年、つづく出隆訳は1919年。
「分別」と訳した牛山充訳も、やはり1919年だが出より後の出版。同じく「分別」と訳した山形浩生訳から遡ることピッタリ80年である。
で、じつはこの牛山と山形、名字に「山」が付くことだけが共通点ではない。双方とも、「英語からの重訳」なのである! bon sens は英語で good sense 、そこから訳せば「分別」に落ち着くということだろうか。
「良識」と訳すのが『方法序説』では一般的だが、デカルトの言うニュアンスとしては「分別」のほうがしっくりくるのは、ある種の皮肉であろう。日本語で「良識」というと、「常識的な良心」という意味の「良識」と捉えられかねず、じっさいに多くの人がそう間違って解釈してしまっている現状がある。
ちなみに、谷川多佳子(岩波)版の訳注にはこうある:「良識 bon sens」がもともと「正しい分別 sens」を意味する、「真偽を判断する能力」と定義され、「理性」と同義、また「自然(生まれながら)の光」にもつながる。ラテン語 bona mens に由来する、「知恵」sagesse を意味することもある。
山田弘明(ちくま)版の訳注にはこうある: le bon sens とは、常識、センス、思慮分別のことだが、良識という訳語が定着している。意味は2つあって、1)理性あるいは真偽判断の能力、2)知恵(ラテン語 bona mens に由来)。
*
おや? 翻訳が単語単位でワザとなされていない部分がある。
・・・accidentsのみの間に適用されるものであって、・・・ ・・・はっきりとしたconvictionの基盤はほとんどなかったし、・・・ このように、ちょいちょい英語が残されていて、そのつど読者にルー大柴を想起させるのは、真面目な翻訳なぞしてたまるかという放擲宣言でもあるのかもしれない。
*
『方法序説』の第二部。
・・・フランスやドイツでそれぞれ幼少期を過ごした人物を考えてみよう。シナ人や蛮人たちの中でずっと育ってきた場合や、・・・ 「
蛮人たち 」が、まず気になる。
谷川訳では「人食い人種」、山田訳では「食人種」で、いずれも cannibales の訳語(でアメリカ原住民をさす)だが、英訳がもう savages で未開人の意にズレているからこうなっている。
さらに、「
シナ人 」が気になる。
英訳でもふつうに Chinese で、谷川訳でも山田訳でも当然「中国人」だ。
山形訳でわざわざ「シナ人」としているのは、これはおそらく、フランスとかドイツとかメキシコ帝国という国名をカタカナ表記に統一する意図での訳出、――なのではない。
山形氏はもともと、差別語・放送禁止用語などのタブー表現の押し付け規制に抵抗する思想をもっている。「シナ(支那)」表記は戦後処理の段階で、日本人によるその呼び名を差別的との判断がなされ、事実上禁止された。歴史的背景を理由に「シナ」という言葉に対しても行き過ぎたタブー視がなされたわけだが、・・・
それはそれとして。山形氏は、そんな思想を、デカルト『方法序説』に持ち込んでいるのだと私には感ぜられて、逆に煩わしい。「中国人」でいい。
(※なお、野田又夫氏による訳出には「シナ人」表記があるけれど、野田氏は旧い時代の人である.)
*
『方法序説』の第三部。――いよいよ訳文が杜撰さを増してきている。
たとえば次の文は、一体何なのだ?
さらには、もっと正確なものが存在した場合に、それを達成するためになんらかのメリットを犠牲にしなくてはならないのなら\footnote{達成するというメリット、かな?}、良心のとがめを感じずにそういう意見に基づいて先に進むことはできなかっただろう。 急に訳者メモが登場してくるが、それにしても、酷い訳文である。
この文章は、谷川訳でも山田訳でもほとんど引っかからずに読めるが、山形訳ではちんぷとんかんぷとんだ。・・・けれど試しに英文をみると、英文こそが悪文なのだから、山形氏には分が悪かったのである。
〈谷川訳〉
またもし、もっと優れた意見が出てきた場合に、それを見つけ出す機会をけっして逃すまいと期していなかったならば、わたしは他人の意見に従って、安心して進むこと(先の第二格率)などできなかっただろう。
〈山田訳〉
また、よりよい意見が出てきた場合、それを見つけるいかなる機会もそのために見逃さないと期待していたのでなければ、ためらわずに他人の意見に従うこともできなかったであろう。
*
第五部。
地球科学や解剖学をとりあげる箇所だが、ここでは、17世紀フランスの雰囲気ウンチクを披露する山形氏の挿入コメントに異を唱えておきたい。
・・・解剖学の心得のない人がこうした観察を行うに先立って、肺をもった大きな動物(これでそこそこ人間に近い存在だといえる)の心臓の解剖を実際に目の前でやってもらうことをおすすめする。そして、心臓の二つの空洞または空室を見せてもらうといい\footnote{訳注:なんで「見せてもらうといい」なんて言い方をするかというと、当時の学者は自分でメスを握ったりなんかしなかったからだ。肉屋さんを呼んできて、解剖してもらったのだ。}。 「
当時の学者は自分でメスを握ったりなんかしなかったからだ。肉屋さんを呼んできて、解剖してもらったのだ。 」
まるで、17世紀を自分で見てきたかのような訳注だ。
私だってタイムマシンに乗ったことはないから100%のことは言えない。たしかにデカルトには、お手伝いさんも召使もいた。けれどデカルトは、基本的には自分で何でもやりたがる人間だったと思われる。
白水社『デカルト著作集(1)』100ページ、『方法序説』訳注には、次のようにある。
「デカルト自身解剖に熱心だった模様は書簡集の随所にうかがわれる。」
「『私は自分でいろいろな動物の解剖をやってみて、ヴェサリウスその他の人たちが書いていることよりもっと特殊なことにいくつも気がつきました。・・・』」
「『解剖学に好奇心をもやすのは犯罪ではありませんし、・・・毎日のように肉屋へ行って獣を殺すのを見、そこから自分の家へもっとゆっくり解剖したいと思う部分を持ってこさせたものです。』」
肉屋だって肉屋の仕事があるのだから、ずーっとデカルトにつきっきりで解剖してくれたわけではあるまい。
レンブラントの《テュルプ博士の解剖学講義》(1632)だって、博士みずからが解剖しているではないか。
※ウィキペディアより引用。まさに『方法序説』刊行の5年前のオランダで描かれた。 〈2020.6/21追記:〉 ウィキペディアの「トゥルプ博士の解剖学講義」 の解説には、 「1人、講義のための遺体を準備する係員が見当たらない。 17世紀、テュルプ博士のような高い地位にある科学者は、解剖のような卑しく血なまぐさい作業にはかかわらず、他に回されていた。 このため『テュルプ博士の解剖学講義』にも、解剖そのものは描かれていない。」 とあるが、これは定説であったとしても、信用がおけるような説明になっていない。具体的には、「高い地位にある科学者」が「他に回されていた」という文脈から、その科学者が使役の対象になっておりニュアンスが不自然であること。また、絵画に遺体準備係員が描かれていないことや解剖そのものが描かれていないことは、「解剖のような卑しく血なまぐさい作業」に「高い地位にある科学者」が関わらなかった、ということの証拠にはならない。 *
さて、いちばんツッコミどころが多いのは、公開から17年が経過して未だ「まだ書きかけ」のカッコ書きが付いている、〈訳者によるあとがき的な記述〉についてである。
この本について この本は、しばらく前にフランスという国に生まれた、ぼくの友だちのルネ・デカルトくんの有名な本だ。ふつうは「方法序説」という題名で知られていて、この本自体を知らない人でも、ここに出てくる「我思う、故に我あり」というとっても有名なくだりだけは知っているはずだ。 ――こういう「気さく文体」が、山形浩生氏の方法である。アニキ風の教師にいそうなキャラだ。
もとについて この本は、もともとフランス語で書かれている。ぼくは、その英訳からこれを日本語にしている。これはふつう、重訳と呼ばれて嫌われる。でも、無能な訳者がやった直接訳より、有能な訳者二人による重訳のほうが、当然ながら優れている。それに、ほかの「方法序説」の訳を見てみたけれど、そんなにちがってるところはないし、記述の上でも疑問点はあんましない。 ――これについては、本ブログで検証してきた結論として言わねばならないことがある。
氏もおっしゃる通り、学術的には、原書から直接日本語に訳すのが原則である。
そして今回、翻訳はやはり原典によるのが一番だとあらためて思った。
そもそも、構造主義が成立して100年も後の世界にいるわれわれは、別々な言語体系にある単語や文法が一対一対応のように相対しているわけではないのを知っているし、それぞれの言語体系のなかの一語一語に関してだって翻訳不能な背景を何重にも背負っていることが前提になっている。
・・・などとごちゃごちゃ言わずとも、「伝言ゲームと同じで、人やモノを介するたびにニュアンスがズレてくるし、省略や誤訳もどんどん増幅する」のである。
ところで、
「この本は、もともとフランス語で書かれている。ぼくは、その英訳からこれを日本語にしている。」 のに、第四部にある「われ思う、故にわれあり(COGITO ERGO SUM)」が、なぜここだけラテン語になっているかの説明が欠けている(デカルトがフランス語で書いた原書では Je pense, donc je suis. なのであった)。それに細かいことを言えば、COGITO ERGO SUM ではなくて、次のように書くべきである。 Cogito, ergo sum または ego cogito, ergo sum などと。読点はぜひとも、つけてくださいね。
著者について 著者のルネ・デカルトくんは十七世紀のフランスに住んでいた、哲学者というか数学者というか物理学者というか、そういうものを考える仕事の人だった。むかしはそんな、いまみたいにうじゃうじゃと仕事がわかれていなくて、なんかいろんなことを一人の人がいっしょくたにできちゃったのだ。 ぼくはルネとはなぜか気があって、よくパリの売春宿にいっしょに通ったものだった。この本の書きっぷりはなかなか謙遜だらけだけれど、実はルネは巨根自慢で、まあでかかったのは事実だけれど、店の女の子たちには、痛いだけだといっていやがられていた。こうやっていっぱい謙遜をするというのは、この時代の人たちにはまあふつうのことで、別に気取りでもなんでもない。 ――このように、わざわざ下ネタをまぶしてみずから品格を貶めるのも、山形浩生氏の文章の特徴のひとつだ。品格という名の歩を捨てて、飛車としての批判的態度確保と、角行としての若者層獲得戦法とを狙っている。
しかし、やはり私はここでも文句を言わねばならない。
「
著者のルネ・デカルトくんは十七世紀のフランスに住んでいた 」云々とあるが、デカルトが執筆活動期に住んでいたメインの土地はオランダである。フランス生まれのフランス人で放浪の人でもあるけれど、住んでいたと言ったら、1628年から1649年までのほとんどを異国オランダにおいて過ごした。
「
哲学者というか数学者というか物理学者というか、そういうものを考える仕事の人だった 」というのも誤解を招く説明だ。仕事の人、といったらそのような職業に就いていたと思われるのではないか。デカルトは生涯にわたり正業につかなかった。自主的な自由研究と執筆をして過ごしていたのである。
「
ぼく(山形浩生氏)はルネ(デカルト)とはなぜか気があって、よくパリの売春宿にいっしょに通ったものだった。 」
――はっきり言っておくが、デカルトはそーいうタイプの男ではない。
おそらく山形氏は、ガリレオ・ガリレイと勘違いをしている。粘着気質の風俗好きといえばガリレイであろう。山形氏と気が合うに決まっている。
たしかにデカルトは、エリザベト王女やクリスティナ女王といった知的趣味のある王室女性に気に入られたし、何人かの女性との噂はあがっていた。論敵からは、あちこちで乱交しているというようなゴシップさえ言いふらされた。
が、デカルトはそういう人間ではなかったということが、証明はできないにしても、彼の哲学からも文章からも伝わってくる。
デカルトは生涯にわたり結婚はしなかったが、女中のヘレナとの間に私生児フランシーヌをもうけた。この一人娘を4歳で亡くしてしまって悲嘆に暮れ、ヘレナとも別れてしまった。
この一件もあって、デカルトの女性関係はたびたび興味の対象にはされるのだけれど。
・・・それにしても山形氏は、なぜこんな下ネタを挟んだのか。もう少し考察してみよう。
図書でいえば、
1979年 『デカルトと女性たち』(アダン、石井忠厚訳、未来社)
1990年 『デカルトと女性』(玉井茂、勁草書房)
の2冊が、いちおうデカルトの女性関係をテーマにしたエッセイになっている(後者は、デカルトのことはごくわずか、1章分のみ)。
どちらを読んでも、デカルトが売春宿の常連客だった話はもちろん出てこない。
だが、しかし。
1992年 『快傑デカルト ――哲学風雲録』(ディミトリ・ダヴィデンコ、竹田篤司・中田平訳、工作舎)
というフランス本国でも話題になったという問題作があって、デカルトの人生が、奇妙奇天烈な波乱に包まれた奇想天外な演劇として描かれてある。
これが、(とてもじゃないが、私はきちんと読めない!) ハレンチで騒々しいのである。疑わしきは、ぜんぶ真実として話は展開されるのだから、ワイドショーも芸能週刊誌も超えているだろう。「当時の証拠なんて、何もないでしょ?」といわんばかりの書きぶりで、デカルトと仲の良さそうな女性はみな性的関係があったことにしてしまう、そんな下品な仕上がりを大真面目にやってのけた作品のようだ。
もしかすると山形氏は、この『快傑デカルト』を読んで信じ込んだのかもしれない。
でもさいごに、山形氏の文章に込めたニュアンスをいまいちど検討してみることにする。
・・・よくパリの売春宿にいっしょに通ったものだった。この本の書きっぷりはなかなか謙遜だらけだけれど、実はルネは巨根自慢で、まあでかかったのは事実だけれど、店の女の子たちには、痛いだけだといっていやがられていた。こうやっていっぱい謙遜をするというのは、この時代の人たちにはまあふつうのことで、別に気取りでもなんでもない。 下ネタに気を取られずに読めば、デカルトの「謙遜」についてコメントしてある文面なのだ。
たしかに、デカルトの謙遜は目につくし鼻にもつく。それを「17世紀フランスではふつうだったんだよ」と解説してくれている。
そして、でもじつは「巨根自慢で、まあでかかったのは事実だけど」というのは、デカルトは謙遜しつつもじつは自分の〈研究業績や著作の〉自慢ばかりしていて、まぁ、その業績もホンモノだったけれど、「店の女の子たちには、痛いだけだといっていやがられていた」・・・つまり〈批判も相当数あった〉よ、といっているのだと解釈できる。
しかし、これでは舌足らずというか、分析不足ではあると私は思う。
この『方法序説』、たしかに「謙遜」だらけなのだが、実はどころでなく実際に「自慢」だらけでもある。
くわえていえば、「隠遁」を標榜しながら「主張」だらけだし、さらにくわえていえば、「誰のことも批判していません」といいながら、「ほとんどの人を批判しまくっている」本であろう。(山形浩生氏なら、ここでさらに巨根をくわえていえばとかなんとか書くのに違いない・・・)
私が「デカルトの二枚舌」という所以である。下(シモ)は足りても舌(シタ)足らずではいけない。
そしてデカルトの「謙遜」の真意の多くは、店の女の子たちじゃなくて宗教権力を振りかざす男の子たちからの告発を払いのけるためのものだったのである。
どひゃひゃ~っ! バカなことを言っているうちに、今回のブログは異様に長くなってしまった!
誰がこんな長ったらしいブログを読むだろうか?
誰も読むまい。
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