村上陽一郎『科学の本100冊』
- 2016/02/26
- 21:11
村上陽一郎氏といえば、東京大学やICUの名誉教授で何とかいう褒章も受けた、わが国随一の科学史学者だ。
けれど私は、氏の一連の科学史本の論旨に賛同できないことがしょっちゅうである。
超一流博士と評される村上氏と、科学史のアマチュアである私と、どちらを信頼するかと問えば、読者諸兄はとうぜん権威側に依るだろう。いや、それはもちろんそれで仕方あるまい。権威の力のみならず、実力と実績の差でもある。私は重箱の隅をつつくブログ「デカルトの重箱」の執筆者でしかない。
だからこそここでは、純粋にデカルトに関する文章そのものをつつきたい。
そして、私が以前から抱いてきた陰鬱な感情、つまり、
「村上陽一郎氏のデカルト不理解は、わが国の科学史全体に暗い影を落としている」
ということを端的に申し述べたいのだ。
科学史のなかでデカルトをどう扱うかは、重要ポイントのひとつなのだから。
さて今回取り上げるのは、『科学の本100冊』という本。2015年に新しく河出書房新社が出した、村上氏による科学分野・科学史本の名著100冊図書案内である。
宣伝の帯には、
「科学の本、究極の決定版100冊!」
「わが国を代表する科学史家が、自信をもって選び抜き、『これだけは読んでおきたい』とお奨めする」
「古今東西の名書中の名書」
云々とある。
で、100冊ずらり目次に並ぶうちの6冊が著者・村上陽一郎氏の本であることについては、「まえがき」にご自身が先手を打ってこう書いている。
「100冊の中に自分の著書を含めていることに、厚かましいとか、不遜だと感じられる読者もあるでしょう。言い訳めきますが、その点の合理化の根拠はあります。・・・」
いや、一読者の私からは、著者のことを別に厚顔無恥とするつもりはないし、そもそも我々読者は、有用な読書案内を求めているのだから、良い本ならばそのくらいの自己宣伝が入っても差し支えないわけです。帯に鳴り物入で掲げた「古今東西の名書中の名書」という中に、たとえパスカルもスピノザもライプニッツもファラデーも載せず、それらを差しおいて御自身の著作6冊がランクインしても、そりゃあむしろまだ少ないくらいでございまして・・・
(なお、注意して見ると、御自身による“訳書”がさらに6冊ランクインしていた。・・・)
それはともかく、100冊のラインナップはなかなか独特だ。アイウエオ順なので、
1.アインシュタイン「自伝ノート」
2.アリストテレス「自然学」
等々、科学史における直球ど真ん中のいわゆる名著が、哲学分野を古今とも含みながら並び、ときどき日本人研究者の本も入ってきて、さらに漱石「三四郎」や賢治「グスコーブドリの伝記」、聖書の「創世記」、日本の「古事記」など、科学や哲学にちょっと距離のある題材まで入ってくる。
さて、ここでの関心は、この本全体というよりもデカルトにこそある。
42.デカルト「方法序説」
102ページから4ページの紙幅が割かれており、分量面ではVIP待遇。デカルトを知らない人のために『方法序説』を説明している。
まずデカルトのガリレオへの関心について述べ、ガリレイ異端審問を知って書きかけの宇宙論を諦め、『方法序説』を発表。その中に書かれた心身二元論を簡単に説明する。
いわく、ハーヴェイの血液循環論でいう心臓のような機械としての人体つまり「もの」と、人間を機械やサルではなく人間たらしめる「こころ」の存在、この二面性を備えたのが人間である、というのがデカルトの「心身二元論」ということになり、
「・・・本書が後世に与えた影響、とくに科学の成立に与えた影響は甚大だった、と思います。人間の五感で捉えられる『もの』の世界だけに視点を集中し、世界に起こるすべての現象を、『もの』の振る舞いで説明する、あるいは説明し切れる、と考える姿勢が、まさに自然科学を生み出したのではないでしょうか」
と村上氏は解説する。そして現代の脳科学やロボットにまつわるモノ・認識・感情についての問題に触れてから、ラストの文がこう来る。
「本書の投げかけた問題が、歴史上だけではなく、現実の私たちの生活にまで、ある意味では関わってくる点で、本書の意味は、最大級のものであることだけは確かでしょう。」
賛辞にも似た評価ではある。
しかし、この4ページに渡る解説・紹介文が、私には一言でいって「いろいろ不満」だ。
まず、上に引用した文で「ありゃりゃりゃりゃ」なのは、
「人間の五感で捉えられる『もの』の世界だけに視点を集中し、・・・『もの』の振る舞いで説明する、・・・と考える姿勢が、まさに自然科学を生み出したのではないでしょうか」
の箇所だ。
これは「唯物論」の類のことを言っているか、実験科学の成立を言っているのか分からないが、いずれにしても、「『もの』の振る舞いで説明する」という表現は変だ。「『もの』の振る舞い“を”、数量的に説明する」のならわかる。
ところで、デカルトが唯物論者かどうかの意見はみかたによるし、そもそもギリシアの哲人たちにその起源は求められる。デカルトの唯物論が自然科学を生み出したという説明はおかしいし、雑すぎる。
そしてここが要だが、デカルトが『方法序説』でまずやったのは村上氏のいうのとは逆で、「人間の五感の懐疑・切り捨て」なのである。でなければ、いつまでも「目に見えたままの事実」すなわち天動説から、科学は抜け出せない。
デカルトは、現実と思っていたら夢でした、という感覚を警戒し、また感覚が時に誤るということを重々踏まえたのだった。
その後の段取りのなかで人間の五感への信頼を取り戻すのだけれど、「人間の五感で捉えられる『もの』の世界だけに視点を集中し」たわけではない。「私」の主観が「明晰判明に真と認める」条件下でのみ人間の五感を信じたのだ。そして、「もの」の世界だけに視点を集中してどうやって『情念論』を書いたというのだろうか。
このように、村上氏の説明は一見わかりよいようにも見えるが、デカルト哲学とはかなりズレている。結果、この説明の印象はデカルトっぽくないし、説明されている内容も『方法序説』ではない。
「デカルトの右の主張に、考え方として欠陥はないか、私はあると思っていますが、・・・」と書いている村上氏だが、その前に、村上氏のデカルト認識にまず欠陥がありそうだ。デカルトの主張にももちろん問題はあるけれど。
村上氏のデカルト哲学紹介の続きをみてみる。
「では、一体人間とサルはどこが違うのか。そこに彼は、『こころ』を持ち出します」
こころ! 精神とか、理性とかでなく。
デカルトは、「精神」のことを「心」という場合がある。とすると、この村上氏の文脈では明確な間違いとなる。
村上氏に即して岩波文庫版・谷川多佳子訳の『方法序説』から引用すれば、第1部でデカルトは、
「・・・理性すなわち良識が、わたしたちを人間たらしめ、動物から区別する唯一のものであるだけに、・・・」
と書いている。
つまり、デカルトが人間を動物や機械と分けているのは、精神を導くための「理性(=良識=判断力)」なのだ。「精神(心)」ではない。
(ちなみに、精神と身体をわけたいわゆる「心身二元論」は、プラトンにすでに見られるが、村上氏が挙げた100冊のうちプラトンの説明にこのことはまったく触れられていない。)
村上氏のなんちゃって説明はさらに続く――
「『考えている』ことそれ自体が、『こころ』の世界を構成している。そこから、デカルトは、・・・『我思う、ゆえに我在り』を導くのです。『わたし』の存在は、一面で『もの』だけれども、・・・」
こころのせかいをこうせいしている?!
わたしの存在は、一面で「もの」?!!
・・・これは、デカルト学者でなくとも、デカルトを理解している人が読めば、苦笑が止まらないはずだ。
どちらも無茶苦茶な解説で、限りなく暴論に近い。踏んではいけない不理解と誤解の地雷を、一歩ごとに踏みつけて進むかのようだ。
ようするに村上氏は、一般論的な説明に寄り過ぎで、デカルトそっちのけなのである。そしてそれは、こうした言葉の端々のみならず、文章の構成からそうなのだ。とくにマズいのは、村上氏がデカルトの思考法の順序を変え、論理と用語をじぶんで勝手に変えてまったく別物に再構成し、それをデカルトの思想として理解してしまっている点だ。
そもそも、心身二元論からデカルトを始めていいはずがない!
「われ思う、ゆえにわれあり」
は、「何が真実なのか」という対象を追求するべく、あれやこれやと疑いまくって認識を削りこむ所から始めた結果なのだ。けっして氏の言うような、「人間とサルはどこが違うのか」という命題を考えて編み出した警句ではない。
デカルトは「方法的懐疑」によって「われ思う、ゆえにわれあり」という哲学の第一原理を導き出し、これこそを、哲学や科学思想の基点としたのである。既存知識や感覚をぜんぶ切り捨てても、私が考察しているということだけは疑いきれず、ゆえにその行為の主体としての私は存在している、と。そこから、確実なものだけで知的作業を再構築していくのである。思想界の人権宣言と讃えられる所以だ。
それにしても、方法的懐疑も持ち出さずに「我思う、ゆえに我あり」を示したり、明晰判明なものを志向する項を含む「4つの規則」をおくびにも出さなかったり。とんだ『方法序説』解説だ。
しかも、デカルトの科学分野での大発明「代数幾何学」そして座標の発明にも触れないのは、なぜだろう。この本は、『科学の本100冊』ではなかったのか? デカルトの科学分野への大功績のひとつに、宇宙の遥か彼方まで、手元と同じような空間が続いているという見方を示したことがあるじゃないか。
もうひとつ、書き添えておきたいことがある。
村上氏のこの文章はデカルトがガリレイを強く意識していた、というところから始めている。
それはもちろんそうなのだ。が、
「同じカトリックの信徒として、という自負もあったでしょう」
と続けているのは(なんのこっちゃいな?)と思わざるをえない。
デカルトは、宗派とか、そういうことで人を判別する類の人間ではないのである。
事典によってはデカルトが「敬虔なカトリック信者だった」と載っているが、生き方や著作からそういうことは感じ取れない。
むしろ宗派などにはリベラルなのが、デカルトという人間の印象である。従軍時代もプロテスタント側についたり、カトリック側についたりしている。交流のあったエリザベト王女や、晩年仕えたクリスティーナ女王はプロテスタントだった。
そもそもデカルトは少年時代から、生まれ故郷ラ・エーの土地柄、プロテスタントとカトリック双方の軋轢の中に育ち、また親類関係もその宗派によって引き裂かれていた。宗教派閥の軋轢に苦しめられた少年時代があったからこそ、デカルトが宗派や国や民族、性別や身分の違いで差別しない、当時めずらしい平等主義者のような性格になったのではないかともいわれている。
(※追記6/2:ただ、デカルトは生後まもなくカトリックの洗礼を受け、学校もカトリック系、のちにオランダで新教に改宗するよう迫られても「故国の国王の宗教、育ての母の宗教(つまりカトリック)を信ずる」といったと伝えられる。
しかしこれを敬虔なカトリック信者だった証拠とするには当たらない。たとえば『方法序説』第三部に、当座の道徳として3つの格律があり、その中で習慣重視としての宗教選択が語られている。つまりカトリック信者であるのも方法に則っているだけなのだ)
「同じカトリックの信徒として、という自負もあったでしょう」
そんな非合理的な自負は、きっとなかった。
ちなみに、ガリレイは当時の科学界の大人物だ。デカルトのみならず、ヨーロッパじゅうの学者が強く意識したはずの人物だった。
村上陽一郎氏には、東大名誉教授および国際基督教大学名誉教授としての自負があるならば、デカルトを一から学び直してほしい。ざーっと原文をかすめるような読書では、何度読んでも駄目だろう。初心に戻り、関連解説図書にもあたるのがよい。その際に大切なのは、自負心よりもむしろ純心であろうけれど。
学問をする者に、遅すぎるということはない。
けれど私は、氏の一連の科学史本の論旨に賛同できないことがしょっちゅうである。
超一流博士と評される村上氏と、科学史のアマチュアである私と、どちらを信頼するかと問えば、読者諸兄はとうぜん権威側に依るだろう。いや、それはもちろんそれで仕方あるまい。権威の力のみならず、実力と実績の差でもある。私は重箱の隅をつつくブログ「デカルトの重箱」の執筆者でしかない。
だからこそここでは、純粋にデカルトに関する文章そのものをつつきたい。
そして、私が以前から抱いてきた陰鬱な感情、つまり、
「村上陽一郎氏のデカルト不理解は、わが国の科学史全体に暗い影を落としている」
ということを端的に申し述べたいのだ。
科学史のなかでデカルトをどう扱うかは、重要ポイントのひとつなのだから。
さて今回取り上げるのは、『科学の本100冊』という本。2015年に新しく河出書房新社が出した、村上氏による科学分野・科学史本の名著100冊図書案内である。
宣伝の帯には、
「科学の本、究極の決定版100冊!」
「わが国を代表する科学史家が、自信をもって選び抜き、『これだけは読んでおきたい』とお奨めする」
「古今東西の名書中の名書」
云々とある。
で、100冊ずらり目次に並ぶうちの6冊が著者・村上陽一郎氏の本であることについては、「まえがき」にご自身が先手を打ってこう書いている。
「100冊の中に自分の著書を含めていることに、厚かましいとか、不遜だと感じられる読者もあるでしょう。言い訳めきますが、その点の合理化の根拠はあります。・・・」
いや、一読者の私からは、著者のことを別に厚顔無恥とするつもりはないし、そもそも我々読者は、有用な読書案内を求めているのだから、良い本ならばそのくらいの自己宣伝が入っても差し支えないわけです。帯に鳴り物入で掲げた「古今東西の名書中の名書」という中に、たとえパスカルもスピノザもライプニッツもファラデーも載せず、それらを差しおいて御自身の著作6冊がランクインしても、そりゃあむしろまだ少ないくらいでございまして・・・
(なお、注意して見ると、御自身による“訳書”がさらに6冊ランクインしていた。・・・)
それはともかく、100冊のラインナップはなかなか独特だ。アイウエオ順なので、
1.アインシュタイン「自伝ノート」
2.アリストテレス「自然学」
等々、科学史における直球ど真ん中のいわゆる名著が、哲学分野を古今とも含みながら並び、ときどき日本人研究者の本も入ってきて、さらに漱石「三四郎」や賢治「グスコーブドリの伝記」、聖書の「創世記」、日本の「古事記」など、科学や哲学にちょっと距離のある題材まで入ってくる。
さて、ここでの関心は、この本全体というよりもデカルトにこそある。
42.デカルト「方法序説」
102ページから4ページの紙幅が割かれており、分量面ではVIP待遇。デカルトを知らない人のために『方法序説』を説明している。
まずデカルトのガリレオへの関心について述べ、ガリレイ異端審問を知って書きかけの宇宙論を諦め、『方法序説』を発表。その中に書かれた心身二元論を簡単に説明する。
いわく、ハーヴェイの血液循環論でいう心臓のような機械としての人体つまり「もの」と、人間を機械やサルではなく人間たらしめる「こころ」の存在、この二面性を備えたのが人間である、というのがデカルトの「心身二元論」ということになり、
「・・・本書が後世に与えた影響、とくに科学の成立に与えた影響は甚大だった、と思います。人間の五感で捉えられる『もの』の世界だけに視点を集中し、世界に起こるすべての現象を、『もの』の振る舞いで説明する、あるいは説明し切れる、と考える姿勢が、まさに自然科学を生み出したのではないでしょうか」
と村上氏は解説する。そして現代の脳科学やロボットにまつわるモノ・認識・感情についての問題に触れてから、ラストの文がこう来る。
「本書の投げかけた問題が、歴史上だけではなく、現実の私たちの生活にまで、ある意味では関わってくる点で、本書の意味は、最大級のものであることだけは確かでしょう。」
賛辞にも似た評価ではある。
しかし、この4ページに渡る解説・紹介文が、私には一言でいって「いろいろ不満」だ。
まず、上に引用した文で「ありゃりゃりゃりゃ」なのは、
「人間の五感で捉えられる『もの』の世界だけに視点を集中し、・・・『もの』の振る舞いで説明する、・・・と考える姿勢が、まさに自然科学を生み出したのではないでしょうか」
の箇所だ。
これは「唯物論」の類のことを言っているか、実験科学の成立を言っているのか分からないが、いずれにしても、「『もの』の振る舞いで説明する」という表現は変だ。「『もの』の振る舞い“を”、数量的に説明する」のならわかる。
ところで、デカルトが唯物論者かどうかの意見はみかたによるし、そもそもギリシアの哲人たちにその起源は求められる。デカルトの唯物論が自然科学を生み出したという説明はおかしいし、雑すぎる。
そしてここが要だが、デカルトが『方法序説』でまずやったのは村上氏のいうのとは逆で、「人間の五感の懐疑・切り捨て」なのである。でなければ、いつまでも「目に見えたままの事実」すなわち天動説から、科学は抜け出せない。
デカルトは、現実と思っていたら夢でした、という感覚を警戒し、また感覚が時に誤るということを重々踏まえたのだった。
その後の段取りのなかで人間の五感への信頼を取り戻すのだけれど、「人間の五感で捉えられる『もの』の世界だけに視点を集中し」たわけではない。「私」の主観が「明晰判明に真と認める」条件下でのみ人間の五感を信じたのだ。そして、「もの」の世界だけに視点を集中してどうやって『情念論』を書いたというのだろうか。
このように、村上氏の説明は一見わかりよいようにも見えるが、デカルト哲学とはかなりズレている。結果、この説明の印象はデカルトっぽくないし、説明されている内容も『方法序説』ではない。
「デカルトの右の主張に、考え方として欠陥はないか、私はあると思っていますが、・・・」と書いている村上氏だが、その前に、村上氏のデカルト認識にまず欠陥がありそうだ。デカルトの主張にももちろん問題はあるけれど。
村上氏のデカルト哲学紹介の続きをみてみる。
「では、一体人間とサルはどこが違うのか。そこに彼は、『こころ』を持ち出します」
こころ! 精神とか、理性とかでなく。
デカルトは、「精神」のことを「心」という場合がある。とすると、この村上氏の文脈では明確な間違いとなる。
村上氏に即して岩波文庫版・谷川多佳子訳の『方法序説』から引用すれば、第1部でデカルトは、
「・・・理性すなわち良識が、わたしたちを人間たらしめ、動物から区別する唯一のものであるだけに、・・・」
と書いている。
つまり、デカルトが人間を動物や機械と分けているのは、精神を導くための「理性(=良識=判断力)」なのだ。「精神(心)」ではない。
(ちなみに、精神と身体をわけたいわゆる「心身二元論」は、プラトンにすでに見られるが、村上氏が挙げた100冊のうちプラトンの説明にこのことはまったく触れられていない。)
村上氏のなんちゃって説明はさらに続く――
「『考えている』ことそれ自体が、『こころ』の世界を構成している。そこから、デカルトは、・・・『我思う、ゆえに我在り』を導くのです。『わたし』の存在は、一面で『もの』だけれども、・・・」
こころのせかいをこうせいしている?!
わたしの存在は、一面で「もの」?!!
・・・これは、デカルト学者でなくとも、デカルトを理解している人が読めば、苦笑が止まらないはずだ。
どちらも無茶苦茶な解説で、限りなく暴論に近い。踏んではいけない不理解と誤解の地雷を、一歩ごとに踏みつけて進むかのようだ。
ようするに村上氏は、一般論的な説明に寄り過ぎで、デカルトそっちのけなのである。そしてそれは、こうした言葉の端々のみならず、文章の構成からそうなのだ。とくにマズいのは、村上氏がデカルトの思考法の順序を変え、論理と用語をじぶんで勝手に変えてまったく別物に再構成し、それをデカルトの思想として理解してしまっている点だ。
そもそも、心身二元論からデカルトを始めていいはずがない!
「われ思う、ゆえにわれあり」
は、「何が真実なのか」という対象を追求するべく、あれやこれやと疑いまくって認識を削りこむ所から始めた結果なのだ。けっして氏の言うような、「人間とサルはどこが違うのか」という命題を考えて編み出した警句ではない。
デカルトは「方法的懐疑」によって「われ思う、ゆえにわれあり」という哲学の第一原理を導き出し、これこそを、哲学や科学思想の基点としたのである。既存知識や感覚をぜんぶ切り捨てても、私が考察しているということだけは疑いきれず、ゆえにその行為の主体としての私は存在している、と。そこから、確実なものだけで知的作業を再構築していくのである。思想界の人権宣言と讃えられる所以だ。
それにしても、方法的懐疑も持ち出さずに「我思う、ゆえに我あり」を示したり、明晰判明なものを志向する項を含む「4つの規則」をおくびにも出さなかったり。とんだ『方法序説』解説だ。
しかも、デカルトの科学分野での大発明「代数幾何学」そして座標の発明にも触れないのは、なぜだろう。この本は、『科学の本100冊』ではなかったのか? デカルトの科学分野への大功績のひとつに、宇宙の遥か彼方まで、手元と同じような空間が続いているという見方を示したことがあるじゃないか。
もうひとつ、書き添えておきたいことがある。
村上氏のこの文章はデカルトがガリレイを強く意識していた、というところから始めている。
それはもちろんそうなのだ。が、
「同じカトリックの信徒として、という自負もあったでしょう」
と続けているのは(なんのこっちゃいな?)と思わざるをえない。
デカルトは、宗派とか、そういうことで人を判別する類の人間ではないのである。
事典によってはデカルトが「敬虔なカトリック信者だった」と載っているが、生き方や著作からそういうことは感じ取れない。
むしろ宗派などにはリベラルなのが、デカルトという人間の印象である。従軍時代もプロテスタント側についたり、カトリック側についたりしている。交流のあったエリザベト王女や、晩年仕えたクリスティーナ女王はプロテスタントだった。
そもそもデカルトは少年時代から、生まれ故郷ラ・エーの土地柄、プロテスタントとカトリック双方の軋轢の中に育ち、また親類関係もその宗派によって引き裂かれていた。宗教派閥の軋轢に苦しめられた少年時代があったからこそ、デカルトが宗派や国や民族、性別や身分の違いで差別しない、当時めずらしい平等主義者のような性格になったのではないかともいわれている。
(※追記6/2:ただ、デカルトは生後まもなくカトリックの洗礼を受け、学校もカトリック系、のちにオランダで新教に改宗するよう迫られても「故国の国王の宗教、育ての母の宗教(つまりカトリック)を信ずる」といったと伝えられる。
しかしこれを敬虔なカトリック信者だった証拠とするには当たらない。たとえば『方法序説』第三部に、当座の道徳として3つの格律があり、その中で習慣重視としての宗教選択が語られている。つまりカトリック信者であるのも方法に則っているだけなのだ)
「同じカトリックの信徒として、という自負もあったでしょう」
そんな非合理的な自負は、きっとなかった。
ちなみに、ガリレイは当時の科学界の大人物だ。デカルトのみならず、ヨーロッパじゅうの学者が強く意識したはずの人物だった。
村上陽一郎氏には、東大名誉教授および国際基督教大学名誉教授としての自負があるならば、デカルトを一から学び直してほしい。ざーっと原文をかすめるような読書では、何度読んでも駄目だろう。初心に戻り、関連解説図書にもあたるのがよい。その際に大切なのは、自負心よりもむしろ純心であろうけれど。
学問をする者に、遅すぎるということはない。
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